ジミ・ヘンドリックスの最強名盤(アルバムも)紹介!人気曲・名曲ランキングTOP20!
今回は今なおロック史上最高のギタリストといわれているジミ・ヘンドリックスおよび彼の代表曲についてご紹介していきます。
目次
伝説的な存在ジミ・ヘンドリックス (Jimi Hendrix)とは?
ジミ・ヘンドリックスはデビューしてからわずか4年ほどの活動期間で亡くなったにもかかわらず、その後のロックギタリストに多大な影響を与えたことで知られています。
ギタリストとしてのテクニックだけでなく、ライブではギターを歯や背中に回して弾いたり、ライブ中にギターに火を放っては破壊するなどといったワイルドかつ派手なパフォーマンスを行うことでも話題になりました。
ここではそんなジミ・ヘンドリックスの魅力が伝わる曲をご紹介していきますので、今回の記事を読んで興味を持たれた方はぜひともジミ・ヘンドリックスの代表的な曲を一度聞いてみてください。
ジミ・ヘンドリックス (Jimi Hendrix)の経歴やエピソードなどを紹介
1942年にワシントン州シアトルで生まれたジミ・ヘンドリックス (Jimi Hendrix)の本名はジェームズ・マーシャル・ヘンドリックス(James Marshall Hendrix)で、アフリカ系の父親と、アメリカ先住民の母親との間に生まれたブラック・インディアンです。
チェロキー族だった父方の祖母ノラ・ヘンドリックスから幼少期のヘンドリックスはチェロキー族の昔話を教えられ、そのことはジミ・ヘンドリックス の作った曲に影響を与えたといわれています。
17歳でジミ・ヘンドリックス を産んだ母親のルーシーはまだ幼い彼を残して出奔したため、ジミ・ヘンドリックス はルシールの姉夫婦の元で暮らした後、第二次世界大戦から帰国した父アルが彼を引き取りました。
そんなジミ・ヘンドリックス は15歳の頃になるとギターに興味を示したことから、父親のアルは当時住んでいたアパートの家主の息子からアコースティック・ギターを5ドルで買い取り、彼に与えました。
その後エレクトリックギターを購入したジミ・ヘンドリックス は、ブルースや R&B、ロックンロールのレコードを聴き練習する一方、テレビのアニメーション作品などの効果音 (BGM) も熱心にコピーしていたといわれています。
やがてアマチュアバンドで演奏するジミ・ヘンドリックス でしたが、1961年に自動車窃盗の罪で逮捕されました。投獄されるのを避けるために陸軍に入隊しましたが1年足らずで除隊になりました。除隊は訓練中のケガが原因といわれていますが、ギターと薬物に興味を持ち隊の規律を乱したことや、音楽活動を早く行いたかったジミ・ヘンドリックス がわざと問題行動を行ったともいわれています。
除隊後に本格的な音楽活動を始めたものの、当時はアイク & ティナ・ターナーやアイズレー・ブラザーズなどといった有名なミュージシャンのバックで演奏するミュージシャンに過ぎませんでした。また一時期リトル・リチャードのツアーにバックメンバーとして参加したことも知られています。ですが当時から衣装やパフォーマンスが派手なことから、リトル・リチャードをはじめとするミュージシャンからは煙たがられていました。
そんな下積み時代のジミ・ヘンドリックス に転機が訪れたのは、1966年に当時キース・リチャーズの恋人だったリンダ・キースからジミ・ヘンドリックス のことを聞いたアニマルズのベーシストだったチャス・チャンドラーに見いだされ渡英したことでした。その時、ジミ・ヘンドリックス はイギリス人ギタリストのエリック・クラプトンの名前を挙げ、「彼に会わせてくれるか?」とチャス・チャンドラーに尋ねたところ、「君の演奏を聴いたら彼(クラプトン)の方から会いに来るよ」と答えたエピソードがあります。
渡英後にロンドンに於いてオーディションを行い、ノエル・レディング(ベース)、ミッチ・ミッチェル(ドラムス)らと共に「ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス」を結成し音楽活動を始めました。イギリス国内でクラブでのライブを行う一方で、ポリドール系のトラックレコードからデビューシングル ”Hey Joe / Stone Free” をリリースすると、全英4位のヒットを記録しました。その後にリリースされたセカンドシングル “Purple Haze” やデビューアルバム “Are You Experienced?” も好セールスを記録しました。
そんなジミ・ヘンドリックス の名前を広めたのが、1967年に米カリフォルニア州モンタレーで開催されたモンタレー・ポップ・フェスティバルでの演奏でした。このライブでは彼のワイルドな演奏もさることながら、ギターを歯で弾いたり背中越しで弾いたりしたかと思えば、ギターに火をつけて燃やしてしまうといったパフォーマンスが話題となりました。
同じ1967年にはセカンドアルバム “Axis: Bold As Love” を翌年の1969年には2枚組となる “Electric Ladyland” をリリースし、ボブ・ディランのカヴァー曲 “All Along The Watchtower” などが入ったこのアルバムは、ビルボード誌のアルバム部門でトップを獲得しました。
1969年になると「ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス」を解散した後、ジミ・ヘンドリックス はミッチ・ミッチェルと軍隊時代からの友人だったビリー・コックスと共に「ジプシー・サンズ&レインボウズ」を結成しました。同年に開催されたウッドストック・フェスティバルでは最終出演者として登場し、ゴミが舞い散る会場の中でアメリカの国歌 “The Star Spangled Banner” をエレクトリックギターで演奏したのが有名です。
その後「ジプシー・サンズ&レインボウズ」を解散すると、ジミ・ヘンドリックス はビリー・コックス、バディ・マイルスの3人編成による「バンド・オブ・ジプシーズ」を結成しました。ジミ・ヘンドリックス がはじめて黒人2人と組んだバンドでしたが、メンバー間の音楽面の確執などから1970年に解散しました。その後は、ミッチ・ミッチェルとビリー・コックスをバックに活動を再開し、アメリカやヨーロッパなどでコンサートを開催しました。
しかし、当初から薬物依存傾向のあったジミ・ヘンドリックスは、ドラッグによる体調不良から徐々に体を蝕まれ、1970年9月18日にはドラッグの使用後、吐しゃ物をつまらせたことが原因による窒息で死亡しました。当時は27歳で死亡するミュージシャンが多かったことから、こうしたミュージシャン達は後に27クラブと呼ばれるようになりました。
メジャーデビューから死亡するまでの音楽活動はわずか4年ほどでしたが、ロック界に与えたジミ・ヘンドリックス の影響は大きく、渡英して間もない彼の演奏を見たエリック・クラプトンは「誰もジミーのようにギターを弾くことはできない」という言葉を残し、後にジェフ・ベックは「(メジャーデビューしたばかりのヘンドリックスの演奏を聴いて)廃業を考えた」とまで語っています。
ジミ・ヘンドリックスの【名盤】人気曲・名曲ランキングTOP20!
ここからは人気曲ランキングを紹介していきます。10位までは曲の紹介をしそれ以降は表にてご確認ください。
順位 | タイトル | YouTube再生回数 | iTunesランキング | おすすめ |
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1位 | All Along the Watchtower | 2億再生 | 1位 | ★★★★★ |
2位 | Foxey Lady | 5181万再生 | 10位以下 | ★★★ |
3位 | Johnny B. Goode | 3806万再生 | 10位以下 | ★★★★★ |
4位 | Hey Joe | 3097万再生 | 10位以下 | ★★★★ |
5位 | Hear My Train A Comin’ | 1522万再生 | 10位以下 | ★★★★ |
6位 | Purple Haze | 1366万再生 | 10位以下 | ★★★★ |
7位 | Freedom | 1022万再生 | 3位 | ★★★★ |
8位 | Freedom | 1043万再生 | 10位以下 | ★★★★ |
9位 | Bleeding Heart | 997万再生 | 10位以下 | ★★★★★ |
10位 | Valleys Of Neptune | 922万再生 | 10位以下 | ★★★ |
11位 | Star Spangled Banner | 448万再生 | 4位 | ★★★ |
12位 | Dolly Dagger | 435万再生 | 8位 | ★★★ |
13位 | Red House | 378万再生 | 9位 | ★★★★ |
14位 | Machine Gun | 291万再生 | 5位 | ★★★★ |
15位 | Power of Soul | 291万再生 | 10位以下 | ★★★ |
16位 | Little Wing | 240万再生 | 10位以下 | ★★★ |
17位 | Lover Man | 228万再生 | 10位以下 | ★★★★ |
18位 | Angel | 139万再生 | 2位 | ★★★★ |
19位 | Like A Rolling Stone | 142万再生 | 10位以下 | ★★★ |
20位 | Killing Floor | 61万再生 | 10位以下 | ★★★ |
1位:All Along the Watchtower
再生回数 | 2億再生 |
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AMランキング | 1位 |
おすすめ | ★★★★★ |
1968年にリリースされた3枚目のアルバム “Electric Ladyland” に収録された曲で、ボブ・ディランの曲をカバーしたものとしてもよく知られています。
「見張塔からずっと 王子たちは眺めていた 女たちが裸足の召使を従えて 行ったり来たりするのを」という歌詞は、ボブ・ディランが聖書の「イザヤ書」第21章にある話を踏まえて書かれたとも寓話的な社会風刺ともいわれていますが、なかなか理解するのが難しい難解なものです。
ボブ・ディラン自身もそれほど関心の高い曲ではなかったようなのですが、オリジナルとはまったく異なるサイケデリックなアレンジで、エレクトリックギターをかき鳴らすジミ・ヘンドリックスの演奏を聴いて、以降はたびたびディラン自身がコンサートでも演奏するようになりました。
また、ジミ・ヘンドリックスの演奏を聞いたボブ・ディランは「この曲の権利の半分はジミ・ヘンドリックスのものだ」と彼のカバーを絶賛し、以降はジミ・ヘンドリックスのアレンジに近い形で演奏するようになりました。
2位:Foxey Lady
再生回数 | 5181万再生 |
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AMランキング | 10位以下 |
おすすめ | ★★★ |
1967年のデビューアルバム “Are You Experienced?” のオープニングナンバーであり、ジミヘンドリックスのブルージーかつハードなギターサウンドを堪能できる曲でもあります。
「お前はセクシーな女王様だ」と繰り返し歌うフレーズに加えて、ギターを股間にはさみながら演奏するフィードバック奏法はとても官能的かつ本能的なサウンドで、後にプリンスが演奏するギターソロはこうしたジミ・ヘンドリックスの官能的なサウンドに影響を受けているようにも思えます。
ブルースギターをベースとしながらも、ハードかつ重厚なサウンドは、ハードロックをはじめとするギターサウンドに影響を与えた曲ということができます。
3位:Johnny B. Goode
再生回数 | 3806万再生 |
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AMランキング | 10位以下 |
おすすめ | ★★★★★ |
ジミ・ヘンドリックスの死後、1972年にリリースされたライブアルバム “Hendrix In The West” に収録された曲であり、元々のオリジナルはチャック・ベリーが演奏したロック史に残る名曲です。
ギターを演奏することしか取り柄のない男性がスターを目指すまでという歌詞は、まさにチャック・ベリー自身を歌っているともいえます。チャック・ベリーによる演奏もゴキゲンなギターサウンドを聞くことができますが、ライブでのジミ・ヘンドリックスの演奏を聴くと、さらに激しく歪んだギターサウンドを聴くことができます。この曲も色々なミュージシャンによってカバーされた曲ではありますが、ジミ・ヘンドリックスの演奏は群を抜いてハードかつパワフルなものに聞こえます。
4位:Hey Joe
再生回数 | 3097万再生 |
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AMランキング | 10位以下 |
おすすめ | ★★★★ |
1966年に発表されたデビューシングルの曲で、イギリスで発売されたデビューアルバム “Are You Experienced?” のオリジナル盤にはこの曲は含まれていませんが、アメリカ・カナダ盤にはこの曲が収録されています。
この曲をジミ・ヘンドリックスのオリジナル曲と思っている人は多いかと思いますが、実は1962年にビリー・ロバーツというアメリカのシンガーソングライターが作った曲をカバーしたものです。
「ヘイ ジョー 銃を手にしてどこへ行こうというんだ」という歌詞から始まるこの曲は、不貞な妻を撃った後、逃走中でメキシコに向かうことを計画している男性について歌われています。これまでロサンゼルスのガレージバンド Leavesやバーズ、フランスの歌手ジョニー・アリディがカバーしてきましたが、ジミ・ヘンドリックスのカバーが最も世に知られるようになりました。
重厚なギターサウンドではなく、抑えたようなギターサウンドから少しづつ激しさを増していくギターサウンドとジミ・ヘンドリックスのボーカルは、実際にジョーに呼びかけているかのようなそんな錯覚にとらわれてしまいます。
5位:Hear My Train A Comin’
再生回数 | 1522万再生 |
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AMランキング | 10位以下 |
おすすめ | ★★★★ |
ジミ・ヘンドリックスの死後発表されたアルバム “Cry of Love” に続いて、1971年に発表された “Rainbow Bridge”に収録された曲で、生前に演奏していた曲に比べてブルース志向の強いサウンドとなっています。もしジミ・ヘンドリックスがその後も生きていたらどのようなスタイルで演奏していただろうかというのは彼のファンなら誰しも考えることですが、この曲を聴いているとそんな疑問に対する1つのヒントを与えてくれる曲ではないでしょうか。
「俺は駅であの列車を待っているんだ」で始まる歌詞もブルースの定番のようでもあり、この曲でジミ・ヘンドリックスはギターをかき鳴らしつつも、ブルースにリスペクトを込めて歌っているようです。ひょっとすると亡くなる前のジミ・ヘンドリックスは、ギターをかき鳴らすハードロックよりも、こうしたブルース志向の強いスタイルを演奏したかったのかもしれません。
6位:Purple Haze
再生回数 | 1366万再生 |
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AMランキング | 10位以下 |
おすすめ | ★★★★ |
デビューシングル “Hey Joe” に続く第2弾シングルとしてリリースされたこの曲は、ジミ・ヘンドリックスを代表する曲だけでなく、ロック史上にその名を残す名曲となりました。
ジミ・ヘンドリックスは自分が見た夢から作った曲という風に答えていますが、タイトルの「紫のけむり」というのはLSDを指す言葉としても知られていることから、ジミ・ヘンドリックスがドラッグを摂取したときに書いた曲ではないかといわれています。
「紫のけむりが 俺の頭の中にあるんだ」という歌詞や「お前は俺を最高の気分にさせてくれるんだぜ」という歌詞を読むと、セックスとドラッグを連想させる官能的な歌詞は以降のジミ・ヘンドリックスの1つのスタイルともいえます。
冒頭の部分からハードなギターをかき鳴らすジミ・ヘンドリックスのこの曲は、”ヘンドリクスコード” と呼ばれる、それまでのロックでは使われることのなかった不協和音のコードやエフェクターを使用した曲としてもよく知られています。
7位:Freedom
再生回数 | 1022万再生 |
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AMランキング | 3位 |
おすすめ | ★★★★ |
ジミ・ヘンドリックスの死後、1972年にリリースされたアルバム “Cry of Love”に収録され、アルバムのオープニングを飾る曲です。
「自由 それが俺の欲しいものなんだ」とサビの部分で歌うこの曲を聴いていると、ジミ・ヘンドリックスが音楽や自分のスタイルを通じて自由を求めていたというのがよく分かります。この曲でもジミ・ヘンドリックスがギターをかき鳴らしていますが、初期の頃のブルースかつハードなサウンドと比べると、ファンキーで黒い部分が前面に出たようなサウンドです。死の直前にジミ・ヘンドリックスは4枚目のアルバムを構想していたといわれていますが、この曲を聴いているとさらなるギターの可能性を求めて曲を作ったジミ・ヘンドリックスの思いがこちらに伝わってくるかのようです。
8位:Bleeding Heart
再生回数 | 997万再生 |
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AMランキング | 10位以下 |
おすすめ | ★★★★★ |
ジミ・ヘンドリックスの死後、2010年にアメリカでリリースされたアルバム “Valleys of Neptune” に収録された曲で、アメリカのブルースミュージシャンであるエルモア・ジェームスのオリジナル曲をジミ・ヘンドリックスがカバーしました。
エルモア・ジェームスのオリジナルとジミ・ヘンドリックスがカバーを聞いてみると、エルモア・ジェイムスはスライドギターにホーンセクションを加えた泥臭いブルースといった感じがするのに対して、ジミ・ヘンドリックスはオリジナル曲とは別の曲ではないかと思えるようなアレンジを施しています。
ジミ・ヘンドリックスは数多くの曲をカバーしていますが、どの曲を聞いても別の曲かと思う彼のアレンジはさすがと思うとともに、こうしたカバーはジミ・ヘンドリックスの音楽のルーツを知る上でも興味深いといえます。
9位:Valleys Of Neptune
再生回数 | 922万再生 |
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AMランキング | 10位以下 |
おすすめ | ★★★ |
ジミ・ヘンドリックスの死後、2010年にアメリカでリリースされたアルバム “Valleys of Neptune” に収録された曲で、1969年から1970年にかけて録音されました。
爆撃音のようなハードなギターで歪んだサウンドを奏でるイメージが強いジミ・ヘンドリックスですが、アルバムの曲を聞いていると重厚でハードな曲のある一方で、この曲のように抒情的かつ繊細なメロディーの曲もいくつか聞くことができます。
「海王星の谷」というタイトルですが、全体の歌詞を読むと夢の中の内容を歌詞にしたともとることができますし、ドラッグでトリップした時の体験を歌詞にしたかのような摩訶不思議な感じがします。
なお、この曲が収録されたアルバムのジャケットは、1957年にヘンドリックス自身が描いた絵画と青い色合いの彼のリンダ・マッカートニーの写真を組み合わせたものです。
10位:Star Spangled Banner
再生回数 | 448万再生 |
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AMランキング | 4位 |
おすすめ | ★★★ |
ジミ・ヘンドリックスはライブでたびたびアメリカ合衆国の国家を演奏していましたが、最も有名な演奏といえば1969年にジプシー・サン・アンド・レインボーズを引き連れてウッドストックで演奏したものです。
ウッドストックの終盤に出演したジミ・ヘンドリックスでしたが、フィードバック奏法を多用した演奏を聞いていると爆音を響かせた爆撃機を連想させられます。1969年といえばベトナム戦争が行われていたということを考えると、こうしたジミ・ヘンドリックスのサウンドはこうした時代背景を意識したものとも想像することができます。
ジミ・ヘンドリックスのウッドストックの演奏は、フェスティバルを記録したドキュメンタリー映画『ウッドストック/愛と平和と音楽の三日間』(1970年公開)でもクライマックスで見ることができます。また、1996年にリリースされた “Live at Woodstock” でもウッドストックでの演奏を聞くことができます。
ジミ・ヘンドリックスの名盤アルバムTOP3は?
ここからはおすすめのアルバムを3つ紹介します。
アー・ユー・エクスペリエンスト?(Are You Experienced?) 1967年
1967年にザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスとしてリリースされたアルバムで、ジミ・ヘンドリックスの演奏の凄さを充分堪能することができます。
このアルバムは全英で最高2位となりましたが、1位を獲得できなかったのはビートルズの “Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band” に阻まれたからだといわれています。
フィードバック奏法ではじまる “Foxy Lady” をはじめとするこのアルバムでは、ハードなサウンドを演奏するジミ・ヘンドリックスのギタープレイを聞くことができるだけでなく、曲ごとに行っている実験的なサウンドは今聞いてもとても斬新に聞こえます。
アクシス:ボールド・アズ・ラヴ(Axis: Bold As Love) 1967年
デビューアルバムに続いてザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスが1967年にリリースしたアルバムで、前作で見せたハードなサウンドは少し抑えられて、抒情的でメロディアスな曲をこのアルバムでは聞くことができます。ジミ・ヘンドリックスといえば激しいギタープレイをイメージする人が多いですが、このアルバムの曲を聞いているとそれだけでないジミ・ヘンドリックスの音楽の多様性がよく分かります。
アルバムではジミ・ヘンドリックスの代表的なバラードである “Little Wing”が収録されていますが、2分30秒という短い時間の中でのギター演奏は聞きどころ充分です。ちなみにこの曲は、エリック・クラプトンやスティングがカバーしているのをはじめ、ジミ・ヘンドリックスの曲では最も他のミュージシャンによってカバーされている曲として知られています。
エレクトリック・レディランド(Electric Ladyland) 1968年
1968年にリリースされた2枚組のアルバムで、このアルバムがジミ・ヘンドリックスの生前の最後のアルバムとなりました。
このアルバムでは、ボブ・ディランのカバー曲である “All Along the Watchtower” や爆撃音のような重厚なサウンドを聞くことのできる “Voodoo Chile” などジミ・ヘンドリックスの最も脂の乗った演奏を聞くことができます。
アルバムに参加したメンバーも多彩で、トラフィックのギタリストであるデイヴ・メイソンやスティーヴ・ウィンウッド、ブライアン・ジョーンズなどが参加しています。
また、このアルバムはイギリス盤とアメリカ盤でジャケットが異なっていたのですが、ジミ・ヘンドリックスは大勢の女性のヌード写真を使ったジャケットを嫌っていたことから、現在ではジミ・ヘンドリックスの顔写真を加工したアメリカ盤のジャケットで流通されています。
その他:ジミ・ヘンドリックスについて
以下は気になる情報について補足していきます。
ジミ・ヘンドリックスの使用ギターは?
ジミ・ヘンドリックスは主にフェンダーのストラトキャスターを使用して演奏していました。当時フェンダーのギターでプレイしていたギタリストはほとんどおらず、ギブソンやレスポールが主流でしたが、ジミ・ヘンドリックスが使用したことで注目され、彼の死後にはエリック・クラプトンやジェフ・ベックといったロックギタリストだけではなく、ブルースやジャズを演奏するギタリストも使用するようになりました。
ジミ ヘンドリックスの名曲・最高傑作といえばどの曲?
これからジミ・ヘンドリックスの曲を聞こうとする人は、定番ですが”Purple Haze” や “Hey Joe” といった曲を聞けば、ジミ・ヘンドリックスの官能的なサウンドと抒情的なサウンドのどちらも楽しむことができます。
ジミ・ヘンドリックスの重厚でハードなサウンドを聞きたいという人は、スタジオで録音されたものとしては最長の15分という “Voodoo Chile” を聞けば、荒々しいギターの演奏をこれでもかと聞くことができるでしょう。
ジミ・ヘンドリックスのもう一つの顔でもある抒情的な曲を聞きたいという人は、セカンドアルバムに収録されている “Little Wing” や “Bold as Love” を聞けば、ハードなサウンドだけでないメロディアスなジミ・ヘンドリックスを聞くことができます。
ジミヘンドリックスの伝説の炎のライブとは?
1967年に開催されたモントレー・ポップ・フェスティバルに出演したジミ・ヘンドリックスのライブは演奏もさることながらギターに火をつけるなどといったパフォーマンスで、フェスティバルに出演したオーティス・レディングの演奏と共に伝説のライブと呼ばれています。
後のウッドストックといった大規模なコンサートの先駆けともいわれたモントレー・ポップ・フェスティバルですが、このフェスティバルでのジミ・ヘンドリックスの演奏は2007年にリリースされたアルバム “Live at Monterey” で聞くことができます。
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